剛柔流空手とは?

剛柔流空手道は約500年前から沖縄で伝われていた格闘技と中国から伝わった拳法が合致して生まれました。沖縄が琉球王国時代、2度による禁武政策から島民の自主防衛の為、密かに農具を改良した代用武器や、「徒手空拳」による格闘技が発展してきました。東恩納寛量という大家が中国福建省に渡り、中国拳法を研究し、沖縄に帰って沖縄在来の「手」を融合し、新しいタイプの空手を作りました。それが「那覇手」と呼ばれ、弟子である宮城長順が那覇手を改良発展させ、剛柔流空手を作りました。剛柔流という名は、中国拳法の拳法大要八句という詩にある、「法は剛柔を吞吐す」という句から                                        取られました。剛柔流の祖である中国拳法は南派と北派に分かれ、技術的に違いがあり、中国には「南船北馬」という格言があります。これは運河が発達している南方では船がメインの交通手段であり、北方では山や平原で馬を使って生活するという事です。と言う事で、南方では船の中の至近距離で戦う戦法が工夫されました。その戦法を受け継いでいるのが剛柔流です。剛柔流基本の立ち方である「三戦立ち」は揺れる船内でバランスを取る為に効果的な立ち方です。丹田を鍛える。今でいう体幹が鍛えられる訳です。 北方では広い草原での戦い。間合いも遠く直線的で大技が多い。その流れを汲むのが今では松濤館流が大きな流派ですね。

         (写真は宮城長順)                       

宮城長順の高弟で山口剛玄先生。戦前より剛柔流空手道の普及に生涯を捧げられた拳聖。全日本空手道剛柔会を組織し、剛玄先生亡き後は三男である剛史氏が剛柔流空手道山口宗家全日本空手道剛柔会、国際空手道剛柔会最高師範として剛柔流空手道の普及に尽力されています。